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ホーム >  本校ブログ >  塾頭コラム#52:宿題の功罪

塾頭コラム#52:宿題の功罪


今回のテーマは「宿題の功罪」。非常に難しいテーマでして、紙面で誤解なく伝わるかどうか…が不安でもあります。しかし、宿題と勉強は切っても切り離せない関係ですので、勇気をもって掲載します。
私は大学では教育学部に所属していました。その縁もあって、友人の中に学校教員、もしくは大学で教育学に携わる者が数名います。たまに集まる時には基本的に思い出話やとりとめもない話に花を咲かせるわけですが、職業柄でしょうか、時々教育をテーマに真剣に語り合ったりすることもあります。その中で、いつも考えさせられるのが「宿題」についてです。
学校教員の友人は、口を揃えて「宿題の出し方は難しい」と言います。基本的にはクラス全員に対して「今日の宿題は●●です」と宿題を出すそうなのですが、その宿題に対して「宿題が少ない」というご意見と「宿題が多すぎる」というご意見の両方を保護者の方々からいただくそうです。特に宿題が少ないというご意見の場合、「先生が熱心ではない、だから宿題が少ない」と捉えられるケースも少なくないようで、日々生徒のために心を砕いている教員の立場としては、やるせないものがあると嘆いていました。
たしかに、学校の先生方の立場を想像すると、難しい問題だと感じます。個々に宿題の内容・分量を変更することが理想なのかもしれませんが、ただでさえオーバーワークだと社会問題になっている学校教員の労働環境を考えると、それは現実的ではないように感じます。仮に、個々に宿題の内容・分量を変更することが可能だとしても、今度はその差をどう子どもたちに説明するのか?という問題も生じます。「君はお母さんから宿題をたくさん出してほしいと言われたから」とは言いにくいでしょうし、子どもたちの成績をオープンにして、成績の良し悪しで量が変わる…ということも難しそうです。その状況で、年頃の子どもたちに、個人によって宿題の量に差があることを納得させるのは一苦労でしょう。
そこで、根本に立ち返って「宿題」というものを考えてみたいと思うのです。何のために「宿題」が存在するのか…ということです。まず、学力を身に付けるためには、以下の手順を踏まなければなりません。
①新たな内容を学ぶ・習う⇒

 

②練習・訓練をする⇒

 

③身についたかどうか確認する

 

一般的には、①が授業・②が宿題・③がテストという構図になることが多いですね。習った後には必ず練習や訓練が必要なのですが、限られた授業時間の中でその練習・訓練の時間を確保しようとすると、どうしても時間が足りなくなります。そこで、練習・訓練を家庭学習に委ねるというのが宿題の目的のひとつでしょう。②の「練習・訓練をする」という部分をおろそかにするわけにはいきませんから、やはり宿題は学力向上には必要不可欠だということになります。宿題の存在理由は、まさしく「学力を定着させるため」と言えます。そうであるならば、「宿題が多い方が、練習・訓練の量が増えて、学力向上に結び付く」ということになりますから、宿題は多い方が良さそうです。これで終われば、議論も必要ないところなのですが、その際に無視できないのが「生徒の気持ち」です。この要素が、想像以上に大きく影響するのです。
最近では、勉強やスポーツにおける成果が科学的に分析されています。勉強でもスポーツでも、「子どもを恐怖で動かす」「子どもを(問答無用に)ルールで縛る」ということが、成長を阻害するということが声高に叫ばれています。難しいことではありますが、「子どもが興味を持つ」「楽しいと思う」ことを意識したアプローチの必要性が説かれています。その観点で見るならば、宿題というものは非常に難しい。なぜならば、独力で取り組まねばならないノルマは、(精神的成熟度が高くなければ)苦痛になりやすいからです。例えば、授業であれば教師の創意工夫でその時間を楽しいものに変えることはできます(決して簡単ではありませんが)。しかしながら、宿題の場合はそのような演出をしてくれる人が隣にはいないわけです。そしてその内容のほとんどが「練習・訓練」になっているわけですから、楽しさを感じづらい…。これが宿題の抱える大きな問題点です。
それらを踏まえ、宿題が子どもに及ぼす影響をシンプルにまとめると、以下のようになります。
【宿題が及ぼす影響について】
学力への影響
子どもが前向きに取り組む場合 … 大きい
子どもがノルマ的に取り組む場合 … 小さいor無い
※ただし、残念ながら後者の割合が高い。

 

意欲への影響

子どもが前向きに取り組む場合 … 維持
子どもがノルマ的に取り組む場合 … 減退
※ただし、残念ながら後者の割合が高い。

 

つまり、子どもがすでに前向きな場合において宿題は非常に有効であり、そうでない場合は、学力への貢献も少なく、意欲はむしろ減退してしまう…ということですね。私の友人たちが恐れているのも、その部分です。学校において、保護者の方から寄せられる要望の中に「うちの子は宿題以外の勉強をしないので、どんどん宿題を出してください」というものがあるそうです。この場合、上図に示したように、やればやるほど意欲減退に向かってしまう可能性が高くなります。なぜなら「宿題以外の勉強をしない」ということは、その時点での学習意欲は決して高いと言えないからです。よって、私の友人たちはこのケースにおける宿題の追加は推奨しないそうです(そう言って断る友人と、断り切れずに宿題を追加することになる友人がいましたが…)

こうしてみると、宿題の悪い面がクローズアップされてしまうようですが、宿題を否定したいわけではありません。むしろ、私たち九大進学ゼミは、宿題を出します。ただし、宿題が上記のような危険性をはらんでいるのだということを把握した上で、上手に運用せねばなりません。宿題を出す上で何が大切かというと、その宿題が将来にどうつながるかをイメージさせることです。「やらないと叱られるから」ではなく、「これをやると●●が伸びる!」と信じて取り組むことが重要です。高校生くらいになると、そういうことを生徒自身が感じられるようになりますが、小学生~中学生頃は(個人差がありますが)、なかなか宿題と未来を繋げることができません。そこは、宿題を出す側、つまり私たちの腕にかかっているわけです。
夏休みは学校からの宿題もあり、宿題の存在感が高い時期です。九大進学ゼミの夏期講座の中でも、積極的に声をかけて取り組んでいきます。せっかくの宿題ですから、それが子どもたちの学力に貢献するように、しっかり意識して声をかけていこうと思います。どうぞよろしくお願いいたします。